直川村長の歴史物語|村誌から紐解く、地域の今につながる功績~第十代・十一・十二村長~

第一〇代村長

昭和六十年六月の任期満了に伴う村長選挙で現職の小野春雄候補の外に立候補者もなく、無投票で二期目の第一〇代村長に小野春雄氏が就任した。

二期目の小野村政は新庁舎の建設で始まり、農林業の基盤整備事業、特に、県営圃場整備事業に取り組み、村内大部分の画場整備事業が終了した。外国産木材の輸入による木材価格の低迷対策として県産材を使った神ノ原団地の建設、防災無線戸別受信機の設置、さらに夜間でもスポーツできるように村民グラウンドに夜間照明施設を設置した。昭和六十一年三月、本村に縁故の深い者で公共の福祉の増進、文化の進展に貢献し、社会公益上功績顕著な者に対する名誉村民条例を制定した。

十一月の庁舎落成と合併三五周年記念式典の席上、この条例によって泥谷謹氏、河村武吉氏、小野賢木氏の三人を顕彰した。農産物の価格安定と農家所得向上を図る目的で農産物加工場の建設、また赤木憩いの森森林公園に教育上の意義を持たせ、核となる昆虫館の建設、赤木地区を中心としたふるさと創生事業に着手、さらに本匠村と弥生町とで西部清掃組合を設立し、ごみの焼却施設建設にも努力し、河川の汚濁防止と家庭のし尿処理の近代化を図るための農業集落排水工事にも取り組んだ。昭和六十三年正月には県知事を迎えての大分県消防モデル点検式を実施し消防活動の重要性を再認識させ、また、役場内の多様化する行政事務の合理化を図るため、行政事務コンピューターを導入し、事務能率の高度化、行政サービスの徹底、村民の生活環境の充実、基盤整備、団体の育成、観光開発などを積極的に実施し、人づくり、ふるさとづくりに貢献した。


第一一代村長

任期満了による村長選挙が平成元年六月四日に行われ、勇退した小野村長の後を受け、新人の戸高寿生(とだかとしお)候補と前々回惜しくも敗れた河村清候補の争いとなったが、開票の結果一三六三票对一二五五票の一〇八票差で河村候補が当選、第一一代村長に就任した。

河村村長は前任者の小野村長の政策を引き継ぎ、ビッグプロジェクトであるふるさと創生事業、ふるさとづくり特別対策事業に取り組み、多くの地権者の理解を得て上直見地区の源六原二四粉、赤木地区森林公園周辺の用地八秒の買収を行い、三か年の大工事に着手した。この工事で平成四年度に年間を通じての観光施設となるローラーすべり台、平成五年五月にグリーンパーク直川がオープンしたのを契機に、B&Gプール・陸上グラウンド・テニスコート・トレーニグセンター・バンガローが次々と竣工し、供用が開始された。

このように村の活性化対策に積極的に取り組んだほか、生活環境整備にも力を入れ、小型合併処理浄化槽の設置事業、赤木地区農業集落排水処理施設の建設などを推進した。若者の定住と過疎からの脱却をスローガンにしている平松県知事の政策に共鳴し、住環境整備に特に力を注ぎ、道路網の整備、橋梁の整備についても力を入れ、県道の改良などにも貢献した。

第一二代村長

平成五年六月六日執行の村長選挙は現職の河村候補河村清以外に立候補者もなく無投票で再選され、河村清氏が第一二代直川村長に就任した。河村村長は前期から継続して建設してきたグリーンパーク直川の施設整備を完成させ、施設の利用拡大、スポーツ人口の底辺拡大に努め、さらに、憩いの森公園の充実整備と、鉱泉の泉源ボーリングを行い「鉱泉センター直川」の建設を行った。この施設は平成七年一月オープンしたが、一日平均二〇〇人にのぼる盛況を見せている。また県道の拡幅工事を県に積極的に働きかけるとともに、老朽化した老人福祉センター「緑泉」に替わる、福祉の拠点となる地域福祉センターの建設用地の確保を行い、平成七年度に完成した。さらに村の中心地に近い赤木地区に特定優良公共住宅五棟をはじめとする高級住宅団地「こすもす団地」一二戸の建設を行い、若者の定住化対策に積極的に取り組み、過疎対策に意欲を示している。

グリーンパーク直川
グリーンパーク直川

ー 直川村誌 P443~444抜粋 -

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA