大分発、自由を育む革新的な挑戦|「祝祭の広場」
大分県民なら知っているだろう大分駅前の一等地にある大きな公共施設。あれは公園ではないそうだ。
まず皆さんに、広場と公園は、似ているようで違う事を知って欲しい。
公園は公共の遊び場だ。けれど実は、そこに本当の自由はない。代わりに暗黙のルールが潜んでいる。花火はいけない、大きな音を立ててはいけない、もちろんスケボーをしてはいけない、そして今は、ボール遊びをしてはならない。これがスタンダードになりつつある。
Refine skate parkの広瀬さんも『公園でボール遊びをしてはいけないなんて…』と嘆いていた。
これは公園に限らず、日本の学校教育もそうだ。『ブラック校則』なんてものが言われて久しいが、これは持ってきちゃけない、服装はコレ、走ってはダメ、歩く時は右側!そのくせ体育では楽しく話しながら走ると、ちゃんと走ってー!と言われ、美術で自由に絵を描きなさいと言われて、アニメキャラクターとかを描いて、先生にやんわりと訂正を求められた人もいるのではないだろうか。みんな普通にやってるが、よくよく考えるとなんだか理不尽なのだ。
そしてそのまま大人になり、まるっきり同じようなルールの中で生きていく。
そういう社会の息苦しさと相反するコンセプトで出来ているのが、大分駅前の『祝祭の広場』だ。ここは、大分出身で「建築界のノーベル賞」とも言われるプリツカー賞を受賞した磯崎新氏と元市役所職員の長野保幸氏、大分市まちなみ企画課の担当職員だった武安高志氏、大分市美術館の菅章館長が前例のないプロジェクトに、官民一丸となって作り上げたのだ。生前の磯崎氏は、「日本には公園はあっても広場はなかった。かつても、それから現在も。だけど広場の需要はある。公共の手で広場に近いものを造っていけば、それを広場のように市民は使ってくれるはず。このことについて頭を絞るのが、これから一番重要な都市づくりのポイントではないだろうか」と言葉を残している。彼は、この『祝祭の広場』が完成した時に「日本で初めて正真正銘の広場が誕生した」と感動して、瞼を濡らしたという。
だが、いまだに『祝祭の広場』を本当に理解している人たちは少ない。そのコンセプトが本当に具現化したのは、磯崎氏の追悼イベントの時だけなのかもしれない。そういう言葉にならない無限の自由を理解してもらうのが一番難しいからだろう。そして、それほどに社会の窮屈なしがらみは、私たちに染みついている。
スケートボード文化への理解と愛情に基づいた運営
そして、ここ佐伯市直川のRefine skate parkも、スケートボード場でありながら、みんなのやりたい事を受け入れ、みんなと一緒に【Refine】磨き上げて進化を続ける『直川の祝祭の広場』になりうる施設だ。
取材を受けながら、「ここにコワーキングスペースがあったら…カフェがあったら…ドッグランがあったら…子供とスプラトゥーンみたいな水鉄砲対決をやりたい…!」など、そんな思い付きの提案をRefineの広瀬さんは「いいですね!」と目を輝かせて応えてくれる。「別にスケボーだけに限定してない。他のことをしに来たって構わない」と。
かぼすネットのRefine skate parkより
大分・佐伯の希望|スケートボードカルチャーと自由の象徴
そんな自由な広場のRefine skate parkで、広瀬さんの息子 カイト君は、ほんとうに自由に遊んでいる。
そう、遊んでいるのだ。
彼は、ストイックにスケボーの練習をしたりしない。
息をするようにスケートボードをして、失敗という概念がないように見える。転んでもふざけたり、笑ったりして楽しんでいる。楽しいからまたやって、出来たらもっと楽しい。だからやめられない。やめないからどんどん上手くなる。パークの外に出ても、「ここで滑ったら面白いかも!」と目を輝かせてスポット探しをする。だからこそ、目が離せない。「おぉ!凄い!カッコいい!」と語彙力がなくなるほどの感動をくれる。何をしてても楽しそうで、思わず声をかけたくなる。そんな『スケートボードの自由とカルチャーの象徴』のような少年だ。
大分・佐伯からオリンピック選手を!手作りスケートパークの挑戦
とはいえ、息子がスケボーを好きだからと言って、ここまでの施設を作り上げる父親はそうそういないだろう。にも関わらず、広瀬さんはスケボー以外のことで遊んでいるカイト君を咎めたり、「もっとちゃんと練習しろ!なんのためにこの施設を作ったと思ってるんだ。」などと厳しい言葉をかけたりしない。広瀬さん自身もスケボーの自由さとカルチャーに惚れ込み、楽しんでいるからだ。自分も一緒に楽しんで、自由な施設と面白いストリートスポットで技を磨く我が子と、『人生の愛おしい瞬間』を味わっている。そんな広瀬さんだからこそ、息子カイト君に『最高の父親!』と言わしめるのだろう。
そして彼は、佐伯市からスケボーのオリンピック選手が出ることを、何より息子の可能性を信じている。
まさに『好きこそ物の上手なれ』だ。
スケートボードが繋ぐ、未来への希望|偏見を超えて共存する社会へ
そんな自由なスケーターを専用パークだけに閉じ込めておくのは、何とも世知辛いし、魅力が半減して勿体無いと思うのは私だけだろうか。さながら草原の百獣の王を檻に入れ、同じところをグルグル回っているのを見ているようだ。
あの有名な堀米選手でさえも、六本木ヒルズや首都の地下鉄でストリートパフォーマンスする動画をSNSにアップした。スケートボードオリンピック選手としては、そんなことをすれば避難されるかもしれないのに。スケートボードには、ストリートとスポーツの対立関係や偏見がある事を知ると、彼の行為が深いメッセージとして伝わってくる。
スケーターの眼差し|街がキャンバス、日常がアート
スケーターは何にもとらわれず自由であり、何時もどんな場所でも『ここ滑れるかな?ここでこの技をしてみたい!』とスポットを探している。彼らの目は秘密のスポットのサーチセンサーであり、彼らの手にかかればどんなところもアトラクションスポットや映えスポットに変わってしまう。自らスポットを創作してしまう、クレバーで想像力豊かな滑りをする子も、大分にはいるのだ。
『祝祭の広場』追悼イベントプロデューサーのナリトライダー氏も称賛したspin_cats_kouの煌生(こうせい)君のスケボースタイル
固定観念を捨てれば、そこには無限の可能性が広がる
有名な登山家が危険な登山をする理由を『そこに山があるから』と言ったように、ストリートスケートボードをする理由は『そこにスポットがあるから』なのだろう。
そしてその行為は、地方の寂れたトンネルでさえも、エモいパフォーマンスステージに変えてしまう。子供が夢中になっている姿は、なんとも人の心を惹きつける。彼らほどの身体能力とスキルを持ち、周囲を確認してくれる大人さえいれば、人に危害を加えるほうが難しい。固定概念さえなくせば、彼らは喜んで各地のPRをしてくれる逸材なのだ。
スケートボード専用のパーク内でやっているスケーターが正義で、ストリートでやってるスケーターは悪、という対立関係が生じているのは、周りの人間のせいかもしれない。
どうかそういう勝手に決めつけて、なんでも一括りに非難する事はやめてほしい。スケートボードをやってる人が怖いなと思っても、一緒くたにして悪口を言葉にする必要はないだろう。
スケートボードが悪いわけではない。人に迷惑をかける行為や傷つける事が悪いのだ。そして言葉も暴力になる。
祝祭の広場とRefine skate park、二つの挑戦が拓く、息苦しい社会からの脱却
「年寄りは〜」「最近の若いやつは〜」と言われたら嫌なように、「スケボーなんかやってるやつは…」という言葉は、あまりに安易で乱暴的だ。
それに『スケボーなんて危険』という自分達は、どんな幼少期を過ごしたのだろう。
自転車で二人乗りをして、坂を猛スピードでくだったり、流行ったローラースケートを親にねだり、道路で滑ったりしたのではないだろうか。世代がもっと上の方は、無免許ノーヘルでバイクに乗るのが当たり前で、山や海や川、空き地といった、安全整備なんて皆無な環境で毎日遊んだのではないだろうか。そして、その頃の自由な時代を忘れられないのではないだろうか。
事故によって、怪我やもっと悲しい経験をした人もいるだろうし、我が子の安全を守る事も大切だ。Refineのカイト君もたくさん怪我をしただろう。だけど、子供が転ばないようにする事だけでいいのだろうか。転んでも立ち上がるしなやかな強さや、遊びから生まれる自由な発想力が、囲いの中だけで育つだろうか。
そもそも自分達も息苦しく感じてる社会で、同じ想いを子供にさせたいか、よく考えてほしい。都会の子育てをしていると、思わず『すいません』が口癖になる。子供が騒いで、すいません。席に着くのも、すいません。部屋の中を歩いて騒音を出して、すいません。たくさんの人がいるのに、簡単に孤独になる。本来、どんな人間も迷惑かけて生きてるのに、そんな『すいません』だらけの世界の行きつく先は、『生きててすいません』なのかもしれない。自分で自分の人生を終わらせてしまう人がたくさんいる中で、『人生って素晴らしいだろ!』と伝えられるのは、どちらの子育てなのだろう。
私にはRefine skate parkの存在と広瀬親子の子育てが、希望ある革新的な子育てに見えた。そして何より、とてつもなく羨ましい!!自分もこういうふうに育てられたいし、こういう子育てをしたいからだ。きっとみんな妬ましいほどの羨望を持ってしまうのだろう。
スケートボードは、そういう奥深く懐の深い多種多様な魅力がある。それが広瀬さんの愛するスケボーカルチャーなのかもしれない。
大分市は、祝祭の広場にみられるように、スケートボードなどに協力的だ。ただ県民には『スケボー』に対する偏見があるのが残念でならない。
自由な広場がコンセプトである祝祭の広場でさえ、公共の場でスケートボードをするのは通報対象にされる。
広瀬さんは、「通報されれば注意せざるを得ないのですが、子供に注意するのは、本当に心が痛むんです。」と言った警察官の言葉が心に残っているようです。
そして、社会の息苦しさを嘆くばかりではなく、Refine skate parkのような施設を作る人が地方の山々に増えれば、子供の自由な居場所(=広場)が各地に増えて、山の活用化をしながら地方創生や都会の息苦しさを感じる人の助けになるのではないか、と明るい未来の妄想が膨らんだ。
著者:Yuna Design ユナデザイン
大分産まれ、大分育ち。東京に出て10年子育てをしたが、大分へのUターン移住を機にWEBライターとして活動中。
画像をクリック、Yuna Design について見る!
新しい視点を教えてもらえた気がします。
窮屈な社会じゃなく、子どもの自由な居場所が増えてほしいし、そんな場所で子ども達にのびのび満喫する時間を体験させてあげたいって思いました。