正定寺は臨済宗妙心寺派で、現在も佐伯市の代表的な禅寺として親しまれています。
徳川綱吉の家臣、豊後國佐伯藩五代藩主 毛利髙久(毛利伊勢守)から与えられた土地に、
本堂や庫裡など、歴史的な建造物が残され、佐伯藩百姓一揆などの歴史も伝えられています。
令和5年には建立500年祭も開催され、新たな歴史も残しています。
正定寺は、佐伯市の歴史と文化を今に伝える寺院です。
正定寺の魅力
- 戦国時代に創建された歴史ある佐伯市の代表的な禅寺
- 法堂天井 「八方にらみの龍」
- 佐伯藩百姓一揆の舞台となった
- 創立500年祭など、現在もたくさんのイベントがある
歴史
正定寺の創建は戦国時代の大永3年(1523)(494年前)にさかのぼります。当時、この村を治めていた豪族の春山源右衛門が、中津留(現 佐伯市直川赤木)に正定寺を建立しました。
その後、天正年間(1573~)に赤木から仁田原細川内へ再建、貞享4年(1687)(330年前)に佐伯藩主毛利公より仁田原村西方高地(現在地)に東西25間・南北14間の現在地を賜り、元禄4年(1691)(326年前)に古屋敷の古材を使って庫裡を再建。元禄8年(1695)(322年前)には本堂を再建しました。安永9年(1780)(237年前)には本堂が再再建されています。
宗派・教義
正定寺の宗派は臨済宗妙心寺派です。妙心寺派は、建武4年(1337年)に花園法皇の勅願によって関山慧玄を開山として創建された禅宗の宗派です。
正定寺の教義は、宗祖関山慧玄の教えである「関山禅」に基づいています。関山禅は、悟りを求めるのではなく、あるがままの自分を受け入れる「自性清浄」の教えです。
佐伯藩百姓一揆|~尾浦の民~
佐伯藩百姓一揆は、文化9年(1812年)に佐伯藩の七ケ村の農民が起こした一揆です。
一揆の原因は、年貢の不正や諸負担の軽減など労役に見合った生活を求める農民の要求が叶えられなかったことです。
一揆には約5千人の農民が参加しました。農民たちは正定寺に集まり、城下への強訴を決議しました。
しかし、城代家老の戸倉織部に説得されて一揆は鎮圧されました。
一揆の首謀者2名が打ち首となり、6名が流刑、9名が処替えとなりました。
イベント
創建500年祭
指定文化財 除夜の鐘
墨絵師の西本さんのふすま絵
レビュー
1
直川を代表する歴史あるお寺
有名な墨絵師の西本さんのふすま絵は圧巻です!凄いのに結構気軽に見せてくれたりします。大自然の静寂な中で一人瞑想する体験ができます!
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